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「春になれば」と木箱作り(山本)
二人展で、作品が売れたので、木箱を作りました。
作品が売れた瞬間は、正直ぼんやりとしてしまったのですが、すぐに箱を作ってあげようと思い、ギャラリーの方に箱を待ってもらえるようにお願いをして、箱作りをしました。 作品がもう自分の手元から離れると思うと、一時期えらく寂しい気持ちにもなり、感傷的にもなってしまったのだけど、展示の一週間後位にアトリエのみんなに作品が売れたことを伝えた時、すごく喜んでもらえて、やっと嬉しい気持ちになれました。 しかも、箱作りの最中か何かに、相川さんに「石が好きな人のところにお嫁にいけることになってよかったね」と等と言われ、こりゃ裸で嫁に出すわけにはいかない・・・と思い、ますます精を出して作りました。 今回のことで、自分は、ずいぶん人の力で動いているんだと感じた。 それは、「春になれば」は、自分でも気持ちが入って好きな作品ではあったけど、彫刻作品としてまだ疑問みたいなものを感じるものがあったので、作品として展示に持って行っていいものやら考えてしまってる時に、アトリエで 「いいね」 と言われて良しと思えたところがあったから。 あと、ずっと黒御影石ばかりを彫ってきたきたから、石は石でも大理石は異素材の様な物だったので、大理石の「春になれば」はまだ自分の中で模索中の作品だった。 うーん。いつになっても自信のない自分なんだな。だから、人から良いとか悪いとか言われることが自分にとって重要で、その後を左右したりする。 制作を続けている人達ってどうなんだろう?どこで自信をつけているのかな。 最近、人と場所を共有しながら制作をすることで、今まで学んできた「彫刻」だと「作品」にならなかったものが、「作品」になっていく事を強く感じる。 学生時代に学んだことは、自分にとって技術的・精神的にも重要だけれども脱したい部分が少なからず私の中にあるから、作品への気持ちの持ち方が変化しているのは必然の様に思える。 学んだことから脱したいことは、学んだことへの否定的な気持ちではないかな。 それぞれの学生時代を送った人間同士がひとつの場所で作品を作ることで、見えなかった物が見えてくるのかな。 そう思うと、人に動かされている自分ばかりしか見えていないけど、もしかしたら逆もあるのかなと思える。 色々考えたことを、上手く言葉にできずにつらつらと書いたけど、「春になれば」を気に入ってくださった方にまずは感謝です。 作品が誰かの傍らでこれからも生き続けるのかな・・と思うと作って良かったなと思える。 売れたことは金銭的に次の制作の糧にもなるし、何より気持ちの面での充実感を大きくもらえたことを大事にしたいな。
by r06-gallery
| 2010-04-24 18:56
| yamamoto
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